多くの人々は、価値ある芸術とは、より高い値段で売れる作品の事であると思っているが実際にはそうではない。高い値段で売れる作品であっても、全く価値の無いものもあれば有害でさえあるものもある。しかし、全く売れない作品であっても、非常に高い価値のある作品もある。つまり売れるか売れないかは、人気があるかないかの問題に過ぎず人気の高い作品が、必ずしも芸術的価値の高い作品であるとは限らないのである。人気というものは、多くの場合、単に群集心理にうまく乗せられたかどうかの問題であり、人気があっても全く価値のない作品もあれば、人気が無くても非常に高い価値のある作品もあるのである。例えば書店にならべてある本の場合にも、有害であったり、価値のない本はよく売れるが、最も価値があり、有益であり、徳を高め、真の平和と幸福をもたらすような本は、人気がなく売れ行きが悪い場合が多い。それで真の芸術は、人気商売ではない、という事を念頭に置く必要がある。

多くの人々は、最も高い値段で作品が売れている人は、芸術家として最も才能があり、成功している人だと思っている。しかし実際にはそうではない。最も作品が高く売れ、人気があっても、芸術家として失敗している人は沢山いるのである。しかし、一生の間作品が一つも売れなくても、芸術家として成功している人も沢山いるのである。例えば、ゴッホなどは生前は一枚も絵が売れなかったという点に注目できる。では芸術家として成功している人とはどういう人なのだろうか、それは作品が一つも売れなくても、美の本質である喜びと、幸福と、平和と、永遠の命にいたらせるもの、そのような作品を生み出しているならばその人の作品が一つも売れなくても、芸術家として成功しているのである。もしかすると、その人は作品を他の人に無料で提供し、他の人を幸福にしているかも知れないその人は芸術家として成功しているのである。こうなると芸術家が成功しているかどうかは、プロかアマチュアかは、あまり関係がないのである。プロであっても芸術家として失敗している人もいれば、アマチュアでも芸術家として成功している人は沢山いるのである。


多くの人は、芸術家の目的は有名になり、高い地位を得、多くの賞を受け、高い値段で作品を売り、お金を沢山儲ける事だと思っているが、真の芸術家の目的はそうではない。芸術の価値はお金では、計り知れないものなのである。なぜならば、お金そのものは人によっては、ほとんど価値が無く、必要最低限で十分満足している人もいるからである。つまり沢山お金があれば人間は幸福であるとは限らないのである。それで、誤りの自称芸術家たちは金銭や名声を求める故に、芸術界での上位の者への立ちふるまいで御機嫌を取り、こび、へつらい、胡麻を磨りペコペコと頭を下げて行動し、作品においても、審査員や大衆の御機嫌を取るような作品を作ろうとする為、返って美の本質から逸れてしまうのである又、画商、美術商、その他のディーラーやバイヤー達は、より高く売れる作品ほど価値のあるものと見なし、そうでないものは見向きもしないのである。しかい彼らも商売であり生活がかかっている故に、そのような見方をする事も無理からぬ事である。しかし真の芸術家は、そのような考え方に影響される事はないのである。

芸術に関する誤った価値観を高める多くの要素は、群集心理と先入観である。特に日本人は有名な作家の作品は価値があり、有名でない作家の作品は価値が無いと考える傾向が強いしかし実際には有名な作家の作品でも全く価値の無いものもあれば素人の作品でも非常に価値の高い作品もある。それで真の芸術の価値を見分ける人は、群集心理や先入観や有名かどうかなどに影響されず左右される事なく、純粋の目と心で判断する必要があるのである。ある有名な美術評論家や、有名な芸術家が、これはすばらしい、高価なものだ、と評したものが、少しも美しく感じなかったり、その価値を理解できなかったとしても、必ずしもその人が、芸術に関して才能が無い訳ではなく、見る目が無いという訳でもない。ただ芸術に関して見る目や好みがことなっているだけに過ぎないのかもしれない。逆に有名な美術評論家や有名な芸術家が目もくれず、全く価値を認めず、否定さえするものであっても、ある人にとってそれが真の喜びと幸福を感じさせるものであれば、それはその人にとって最も価値のある作品なのである。つまり、芸術の価値は定められておらず、好みは自由であり、人によって異なるものなのである。

但し芸術と美の創始者である真の神の価値観がある事も念頭に置く必要がある。真の神は人間に異なる個性を与え、自由な好みを持つ事をある限界まで許されたのである。しかし個性や好みはある限界を越えるなら、神は許されないであろう。その故に人間は、自分の好みと個性を、どの範囲内に保つべきかを、神の原則に基づいて判断する必要がある。その神の限界を越えるなら、それは美ではなく、真の芸術ではなくなってしまうのである。そして、その神についての信じ方は、人によって異なるであろう。

それで真の芸術家は群集心理や先入観に惑わされる事なく、人の御機嫌を取るのではなく、本質的な美の法則を求め、模倣性が無く、独創的であり、美の本質である、喜びと、幸福と、真の世界平和と、宇宙、人生、社会に関する真理と、永遠の命の希望を指し示し続けるのである。そしてそれこそ、真に価値ある芸術作品であると私は信ずるのである。私の芸術論の実体は、私の作品群と、その説明文によって例証されるものである。