ノアの箱舟は実在した
 

  2014年 金子治男

色鉛筆画 42cm×30cm


ノアの箱舟と言えば、旧約聖書と新約聖書の中で、歴史の事実として記録されている。又、多くの探検家や目撃者によって、センセーショナルな報告が行われている。つまりアララト山の山頂近くに今でも、箱舟が現存すると言うものである。アララト山とは、トルコ東端のイランとアルメニアの国境近くにあり、大アララト山と、小アララト山と二峰から成っている。二つとも日本に在る富士山に大変良く似ており、箱舟が漂着したと言われているのは、大アララト山(標高5165m)の方である。箱舟目撃者の報告が正確かどうかは明確ではないが、参考の為に報告されている事柄を下記に記しておく。
     

1876年
イギリス人ゼームス・ブライスは、アララト山の約5000mの場所で、長さ1m30cm、厚さ13cmの木片を発見した。

1883年
トルコの軍隊が調査を行い、山頂近くの氷河の中から、巨大な骨組の木材が突き出ていて、それがノアの箱舟である事を彼らは認めた。残骸の中は船の内部と同じ構造を持っていた。

1893年
プリンスというひとが、氷の中から突き出ている、厚い木材で出来ている箱舟を発見した。1893年の万国博覧会に、このノアの箱舟を出品しようと思ったが、突然死去する。

1893年
ジョージ・マホービアンとその伯父は箱舟の屋根に登り箱舟の中を覗いた。

1916年
ロシアの二人の飛行家が、上空から箱舟を発見し、この報告に基ずいて、ロシアの皇帝ニコライが山に登り、二週間の苦労のあげく、箱舟を見つける事が出来た。そして150人の兵士から成る登山隊が組織され、箱舟まで登ってその構造を調べ、100程の部屋を確認し写真を撮ってきたが、二日後のロシア革命で紛失してしまった。

1938年
トッピアのロバート・ウイトリーが、ノアの箱舟の探検を行っている。彼は世界198カ国を巡り歩き、各地で砂漠の上でさえも、数千年前の大洪水の跡を見つけ出している。彼はダマスカスでは、そこの人々がノアの墓であると信じている遺跡を発見している。

1938年〜1945年
第二次世界大戦中アメリカのパイロットがアララト山の上空を何回も飛び、箱舟らしい影を見たと報告している。

1942年
ストライクスの報告によるとオーストリアやソ連の飛行士達が氷の中から顔を出している巨大な箱舟について報告している。

1952年
ジョージ・ジェファーソン・グリーンとヘリコプターのパイロットは低空飛行を行い、箱舟の写真を撮ったが、後に暗殺され、持ち物と共にフイルムが失われてしまったのである。

1952年
フランスのエンジニアであるノベラ(又はナヴアラ)を含む6人の登山家が、箱舟を発見し位置を確認した。

1953年
ノベラは箱舟を映画のフイルムに撮り講演を行い評判を得た。

1955年
ノベラは家族5人でアララト山に登り、次男ラファエルと二人で箱舟の木材を持ち帰った。
その木材を世界の四か所の研究所で年代測定を依頼したところ、その古さは、四か所共約5000年と出ている。

1972年7月
アメリカの人口衛星が、アララト山上のノアの箱舟の姿を我々の目の前にもたらした。

1974年
地質学者は、箱舟の場所を写し撮っている。
重要:ノアの箱舟と世界的洪水の出来事が歴史の事実であるならば、現代の全人類は真剣に考えなければならない。神から霊感を受けて書かれた聖書の中には、ノアの洪水と同じような神の裁きによる世界的な滅びが、現代社会にもたらされる事が預言されているからである。その時に生き残る為には、どうしたらよいのか聖書の中に示されているのである。下記の聖書の節を読んで見て、各個人が何をするべきかを真剣に考えて見るように全人類にお勧めする。

  
マタイ24:37〜39     創世記6:13〜8:4     ペテロ第二3:6〜7
ペテロ第二2:5〜6     ゼパニア2:2〜3